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福岡地方裁判所 昭和32年(ワ)55号 判決

主文

原告(反訴被告)の被告佐護キヨ、同倉成実、同倉成安正、同倉成喬に対する訴を却下する。

原告(反訴被告)と被告(反訴原告)倉成郁子、同久野孝子、同宗吉忠子、同倉成太郎、同倉成興治、同倉成洋三、同倉成敬子、同倉成愛子との間において、別紙目録(一)記載の物件につき、原告(反訴被告)が一五分の七の割合による共有持分を有することを確認する。

原告(反訴被告)のその余の本訴請求を棄却する。

被告(反訴原告)等の反訴請求を棄却する。

訴訟費用中、原告(反訴被告)と被告佐護キヨ、同倉成実、同倉成安正、同倉成喬との間に生じた分は原告(反訴被告)の負担とし、原告(反訴被告)と被告(反訴原告)等との間に生じた分のうち、本訴に関する部分はこれを五分し、その一を原告(反訴被告)、その余を被告(反訴原告)等の各負担とし、反訴に関する部分は被告(反訴原告)等の負担とする。

事実

原告(反訴被告、以下単に原告という。)訴訟代理人は、本訴につき、「別紙目録(一)、(三)記載の物件は、昭和二四年一一月六日死亡した倉成粂吉の所有に係るもので、当事者等の相続した遺産であり、右遺産に対し、原告がその一五分の七、被告佐護キヨ、同倉成喬がその各一五分の二、被告(反訴原告)倉成郁子、同久野孝子、同宗吉忠子、同倉成太郎、同倉成興治、同倉成洋三、同倉成敬子、同倉成愛子が共同してその一五分の二、被告倉成実、同倉成安正が共同してその一五分の二の割合の各相続分に相当する共有持分を有することを確認する。被告(反訴原告)等は、別紙目録(三)記載の建物について、福岡法務局昭和二九年一月二六日受付第一、二一四号の倉成敬二郎のための所有権取得登記の抹消登記手続をせよ。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、

「一、倉成粂吉は、戦前福岡市橋口町一四番地において、栄屋旅館を経営していたが、戦災によつてその建物を焼失したので、戦後その再興を図り、昭和二〇年一一月八日別紙目録(一)記載の物件を先代太田清蔵から買い受け、同二二年九月一二日その旨の所有権移転登記を受けた。従つて、別紙目録(一)記載の物件は倉成粂吉の所有であつた。

二、倉成粂吉は昭和二四年一一月六日死亡したので、同人の遺産を妻倉成タツが三分の一、次男倉成敬二郎、次女である被告佐護キヨ、三女である原告、五男である被告倉成喬が各一五分の二、四男倉成幾男(昭和二〇年五月八日死亡)の子である被告倉成実、同倉成安正が共同して一五分の二の各割合で相続した。従つて、右相続人等は別紙目録(一)記載の物件について、右割合の共有持分を有している。

三、倉成タツは、昭和三三年三月一九日福岡法務局所属公証人〓原義男作成第七一、八七五号遺言公正証書によつて、亡倉成粂吉の遺産に対する同女の相続分を原告に遺贈する旨遺言し同三四年三月一二日死亡したので、原告は受遺者として倉成タツの相続分に相当する別紙目録(一)記載の物件に対する共有持分を取得した。そのため、原告は右物件に対しては、自己の共有持分と右のとおり取得した共有持分の合計である一五分の七の割合による共有持分を現に有している。

四、倉成敬二郎は、亡倉成粂吉の遺産である別紙目録(一)記載の物件を管理し、栄屋旅館の名称でこれを旅館として営業するに至つたのであるが、同人は右旅館営業の収益をもつて、別紙目録(三)記載の建物を建築した。従つて、右建物は倉成粂吉の遺産に包含され、前記相続人等が現に前記相続分に相当する共有持分を有するものというべきである。しかるに、倉成敬二郎は、右建物について、福岡法務局昭和二九年一月二六日受付第一、二一四号をもつて自己名義の所有権取得の保存登記をしてしまつた。しかし、右登記は無効のものであるから倉成敬二郎はこれを抹消すべき義務がある。ところが、倉成敬二郎は昭和三一年三月二七日死亡し、同人の妻である被告(反訴原告)倉成郁子、子である同久野孝子、同宗吉忠子、同倉成太郎、同倉成興治、同倉成洋三、同倉成敬子、同倉成愛子は倉成粂吉の遺産に対する倉成敬二郎の相続分をさらに相続するとともに、右抹消登記手続をすべき義務をも相続した。

五、ところが、倉成粂吉の前記相続人等の間において、倉成粂吉の遺産分割の協議が調わなかつたので、原告は福岡家庭裁判所に対し、その分割の申立をしたが、その手続の進行中倉成敬二郎は別紙目録(一)記載の物件は同人が買い受けてこれを所有しているものであり、亡倉成粂吉の遺産に含まれるものではないと主張し始めるに至り、同人の死亡後は被告(反訴原告)等も同様の主張をしている。そのため、右手続は進行できなくなつた。

六、以上の理由によつて、別紙目録(一)、(三)記載の物件が亡倉成粂吉の遺産であつて、これを相続した当事者等が現に前記の割合の共有持分を有することの確認を求めるとともに、被告(反訴原告)等が別紙目録(三)記載の建物について前記登記の抹消登記手続をすべきことを求める。」と述べ、

反訴につき、「被告(反訴原告)等の反訴請求を棄却する。」

との判決を求め、答弁として、

「反訴請求原因一」の事実は否認する。

同二の事実中、被告(反訴原告)等主張の登記が存することは認めるが、その余の事実は争う。

同三の事実は否認する。

同四の事実中、被告(反訴原告)等が倉成敬二郎の相続人である事実は認める。」と述べ、

抗弁として、

「一、仮りに、倉成タツが自己の相続分を倉成敬二郎に生前贈与したとしても、右贈与の意思表示は錯誤に基づいてなされたものであつて無効である。すなわち、右意思表示は、倉成タツが自己の相続分を倉成敬二郎に生前に贈与するつもりでなく遺贈するつもりで、その旨の遺言公正証書作成と誤信してこれをなしたものである。このことは、その後倉成タツが自己の相続分について右遺言を取り消すために、被告(反訴原告)倉成太郎、被告倉成喬の子である倉成愛子の両名に遺贈する旨遺言し、さらにそれを取り消して原告に遺贈する旨遺言したことからも窺われるところである。

二、仮りに、右贈与の意示表示が無効でないとしても、倉成敬二郎あるいはその相続人である被告(反訴原告)等は、別紙目録(一)記載の物件について、右贈与による共有持分の取得登記をしていないので、被告(反訴原告)等は遺贈による共有持分の取得登記を有する原告に対抗することはできない。」と述べた。

証拠(省略)

被告(反訴原告)等訴訟代理人は、本訴につき、「原告の本訴請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

「本訴請求原因一の事実中、別紙目録(一)記載の物件が倉成粂吉の所有であつた事実は否認する。

同二、五の各事実は認める。

同三の事実中、倉成タツが原告の主張の日に死亡したことは認めるが、その余の事実は否認する。

同四の事実中、別紙目録(三)記載の建物は倉成敬二郎が建築し、原告主張の登記がなされたこと、同人が原告主張の日に死亡し、被告(反訴原告)等がその相続人であることは認めるが、その余の事実は否認する。」と述べ、

反訴につき、「原告は、別紙目録(一)、(二)記載(ただし、別紙目録(一)9記載部分を除く)の物件について、福岡法務局昭和三五年三月一五日受付第六、七二五号、第六、七二六号の各持分所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として、

「一、別紙目録(一)、(二)記載(ただし、別紙目録(一)9記載部分を除く)の物件は、もと倉成敬二郎の所有であつた。すなわち、右物件は倉成敬二郎が昭和二一年一〇月五日太田弁次郎から買い受け、同二六年二月ごろから右物件をもつて栄屋旅館を経営するに至つたものである。しかし、登記簿上所有名義が倉成粂吉となつているのは、右買受当時同人がすでに老令であり、当時の民法規定によれば同人の法定推定家督相続人が倉成敬二郎であつたため、いずれは同人が当然に自己名義に所有権取得登記ができるものと確信し、それまでの間倉成粂吉を喜ばせるため一時の便宜上形式的に同人名義の登記をしたに過ぎないからである。

二、しかるに、現に登記簿上、右物件について、福岡法務局昭和三五年三月一五日受付第六、七二五号をもつて、倉成タツ、倉成敬二郎、被告倉成喬、同倉成実、同倉成安正、同佐護キヨ、原告の共同相続の登記、さらに同法務局同日受付第六、七二六号をもつて倉成タツの右持分を昭和三四年三月一二日原告に遺贈したことを原因とする共有持分移転登記が存する。しかしながら右各登記は前記理由によりいずれも実体的権利関係に符合しない無効のものである。

三、仮りに、前記物件が亡倉成粂吉の遺産であつて、同人の死亡により原告主張の相続人等によつて相続されたものであるとしても、倉成タツは昭和二八年一〇月一六日右物件に対する自己の持分を同日福岡法務局所属公証人松井善太郎作成第八一、二三五号贈与公正証書によつて倉成敬二郎に贈与した。従つて仮りに倉成タツがその後昭和三四年三月一二日その持分を原告に遺贈したとしても右遺贈は無効であり、原告の前記第六、七二六号共有持分移転登記は実体的権利関係に符合しない無効のものである。

四 倉成敬二郎は昭和三一年三月二七日死亡し、被告(反訴原告)等はその相続人である。よつて、被告(反訴原告)等は原告に対し前記各登記の抹消を求める。」と述べ、

証拠(省略)

被告佐護キヨは、適式の呼出を受けながら本件口頭弁論期日に出頭しないが、陳述したものと看做すべき答弁書によれば、請求棄却の判決を求め、答弁として原告主張事実はすべて認める、というにある。

被告倉成喬訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

「請求原因一の事実中、別紙目録(一)記載の物件が倉成粂吉の所有であつた事実は認める。

同二の事実中、倉成粂吉が原告主張の日に死亡したこと、原被告等の身分関係が原告主張のとおりであることは認めるが、その余の事実は不知、

同四の事実中、原告主張の福岡家庭裁判所に対する申立のあつた事実は認めるが、その余の事実は不知。」と述べた。

被告倉成実は、請求棄却の判決を求め、答弁として、原告主張事実はすべて認める、と述べた。

被告倉成安正は、適式の呼出を受けながら本件口頭弁論期日に出頭せず、かつ答弁書その他の準備書面をも提出しない。

理由

先ず、原告の被告佐護キヨ、同倉成喬、同倉成実、同倉成安正に対する訴について検討する。原告が本件訴において別紙目録(一)(三)記載の物件について共有持分存在の確認を求めるのは、亡倉成粂吉の遺産たるべき右物件について倉成敬二郎、あるいはその相続人である被告(反訴原告)等がその所有権を主張し、原告の持分を否定しているため、亡倉成粂吉の相続人のうちの一人である原告の法律上の地位が不安定を来たしているというのであるが、しかし、右被告等は原告の持分を争つておらず、又原告は同被告等との関係において別に原告が確認を求むべき法律上の不安定な地位にある旨の何ら論証をしていない。そうだとすれば、本件訴のうち原告と右被告等との間において前記確認を求める部分は、訴によつて確認を求める利益を欠くものというべきであつて、実体的な判断をするまでもなく、右訴は失当として却下を免れない。

そこで、原告の他の被告(反訴原告)等に対する本訴請求、ならびに被告(反訴原告)等の反訴請求につき按ずるに、先ず、別紙目録(一)、(二)記載の物件(原告の本訴請求については、別紙目録(一)記載の物件、被告(反訴原告)等の反訴請求については、別紙目録(一)、(二)記載のうち別紙目録(一)9記載部分を除くその余の物件をいう。以下同様。)が亡倉成粂吉が買い受けてその所有権を取得したものであるか、あるいは倉成敬二郎が買い受けてその所有権を取得したものであるかが争点となつているので、この点につき判断する。

証人山木巌の証言により真正に成立したものと認められる甲第一五号証の一(成立に争いのない乙第三〇号証と同じ)、証人原田繁雄の証言(第二回)により真正に成立したものと認められる同号証の二、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる同第一八号証、同第一九、第二〇号証の各一、二、同第二二号証の一、二、成立に争いのない同第二一号証、乙第四号証、証人佐護壮、同原田繁雄(第一、二回)、同八尋武彦(第一、二回)の各証言、取下前の共同被告倉成タツの本人尋問の結果を綜合すると、倉成粂吉はもと福岡市橋口町一四番地において栄屋旅館の名称で旅館を経営し、当初小旅館に過ぎなかつた同旅館を同人一代の間に福岡市あるいは西日本において五指のうちに数えられる程の一流旅館にまで発展させ、同所附近の土地約八〇〇坪を所有していたこと、その当時倉成敬二郎は荒津商店(後の大博証券)に勤務し、右栄屋旅館の経営には関与していなかつたこと、倉成粂吉は四男である倉成幾男に家業を継がせるべく、同人を箱根の富士屋ホテルへ修業に出していたが、同人は応召後戦死したこと、右栄屋旅館は昭和二〇年六月一九日空襲によつてその建物を焼失してしまつたこと、倉成粂吉は右焼失後栄屋旅館の再建を目論見福岡市内の土地建物を買い取つて取り敢えず旅館営業を始め、同時にさきの橋口町の焼跡に建物を新築し、その完成によつて両者合せて旧栄屋旅館に劣らぬ旅館を再建しようとして、適当な土地建物を求める一方、建築資材の材木をも集めにかかつたこと、かくして、同人は昭和二〇年一〇月ごろ小幡一の仲介によつて先代太田清蔵に別紙目録(一)、(二)記載の物件の譲渡を申し込みその承諾を得て、同年一二月に手附金二〇、〇〇〇円を支払つたこと、その旨の契約書は同二一年二月一五日作成されたこと、そこで倉成粂吉は関係官庁に対して事業設備新設許可申請をしたこと、しかし同人は太田家に対する支払が遷延し、屡々同家から督促を受けていたこと、その間先代太田清蔵は死亡し、現太田清蔵がその後を継ぎ、同人は右物件の売買代金を同年一二月下旬ごろ支払を受け、同二二年九月一二日倉成粂吉名義に移転登記をなしたこと、当時右物件中の建物には井上菊太郎が居住していたため旅館としての営業を始めることができず、倉成粂吉は右井上を相手方として家屋明渡の訴を提起したこと、倉成敬二郎は倉成粂吉存命中時々同人のもとに出入していたが、同人死亡後家族とともに右物件中の建物に入居し、右建物をもつて現栄屋旅館を始めたことが認められる。これに対し、成立に争いのない乙第一号証には、倉成粂吉と先代太田清蔵との間の前記契約は、倉成粂吉の代金支払が遅延したため太田清蔵から解除されたが、倉成敬二郎は先代太田清蔵を継いだ太田新吾(現清蔵)と親交があつたので、同人に懇望した結果あらためて倉成敬二郎において買い受けることになつて手附を交付した旨の記載があり、証人八尋武彦の証言(第二回)によつて真正に成立したものと認められる乙第二号証にもこれに副う記載があるけれども、証人八尋武彦の証言(第一、二回)に弁論の全趣旨を綜合すると前記契約が解除された事実はこれを認めることができないので、同証言に照し右乙号証の記載は措信できず、証人山本五郎(第一、二回)、同浦田哲一の各証言も前記認定を左右することはできない。また、右乙第一号証中、前記物件の所有名義が倉成粂吉となつているのは、倉成敬二郎が老令の父を喜ばし、また同人が法定推定家督相続人である以上は、いずれそのうち自己名義になるから一時の便宜上そうしたに過ぎず登記名義をもつて直ちに倉成粂吉の所有と速断できるものではない趣旨の記載があるけれども、前記登記手続をなした当時はすでに日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律(昭和二二年法律第七四号)が施行され、それによつて家督相続が廃され、そのことが世上盛んに論じられていたことは公知の事実であつて、右乙号証の記載を措信することはできない。さらに、右乙第一号証中、前記買受代金は株式会社福岡銀行から借り入れたものであり、右借入に当つて、倉成敬二郎と倉成粂吉の両名の名義にしたのは、臨時資金調整法による日本銀行への許可申請名義が倉成粂吉となつているので同人名義を使用したに過ぎない趣旨の記載があり、検証の結果の一部、証人溝口広次、同富重仁三郎の各証言中これに副う部分があつて、右証拠に証人浦田哲一の証言を綜合すれば、倉成敬二郎は福岡銀行から借り入れるに際し、屡々同銀行を訪れ、同人の友人である同銀行員の溝口広次、中村順吉に相談し、また太田家から求められた新円の調達にもかなり尽力した事実を窺うことができるけれども、株式会社福岡銀行の調査嘱託に対する回答によつて認められる同銀行と倉成粂吉との取引の事実、前顕証拠による倉成粂吉の栄屋旅館の実績、取下前の共同被告倉成タツの本人尋問の結果によつて認められる臨時資金調整法に定められた銀行から貸付を受けるにあたつて必要とされる日本銀行の許可を得るために倉成粂吉が運動した事実と対比するとき、右乙号証の記載、検証の結果中前記部分も措信し難く、乙第五号証、同第六号証の一、二の記載もこれをもつて直ちに前記買受代金と断ずるに足りず、また証人永田計介(第一回)、同阿部栄助、同谷口信一郎の各証言も前記認定を左右するに足りない。以上の諸事実を綜合すると、別紙目録(一)、(二)記載の物件は、倉成粂吉がこれを買い受け、所有していたものと認めることができる。

倉成粂吉が昭和二四年一一月六日死亡したこと、倉成タツが同人の妻として、倉成敬二郎、原告、被告佐護キヨ、同倉成喬は子として、被告倉成実、同倉成安正は倉成粂吉の子倉成幾男(昭和二〇年五月八日死亡)の子として同人に代襲し、いずれも倉成粂吉の相続人であることは当事者間に争いがない。従つて、倉成タツは倉成粂吉死亡時における別紙目録(一)、(二)記載の物件を含む同人の遺産の三分の一、原告はその一五分の二の割合で相続したことになる。

ところで、証人山木巌の証言によつて真正に成立したものと認められる甲第六号証、証人金丸勝己の証言(第二回)によつて真正に成立したものと認められる同第七号証、成立に争いのない乙第一三ないし第一五号証、被告(反訴原告)倉成郁子の本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認められる同第一六号証、同第二八号証、証人金丸勝己(第一、二回)、同内林武雄(第一、二回)、同秋田茂雄、同武藤要三郎、同上地昌栄、同平原吉次郎、同吉田哲蔵の各証言を綜合すると、倉成粂吉死亡後、別紙目録(一)、(二)記載の物件について、倉成敬二郎において、主として現栄屋旅館の二号室、六ないし一〇号室に相当する建物の大改築、一号室、三号室、五号室に相当する建物の比較的小規模な改築と右各建物の周囲の廊下の建増、玄関の拡張、廊下、炊事場、浴室、便所等の増築をなしたことを認めることができる。証人二宮欧助の証言中、右八号室および九号室に相当する建物が新築である旨の証言部分、乙第一三号証中新築部分の記載はいずれも前記証拠と対比して措信し難い。そうであれば、別紙目録(一)、(二)記載の物件について右増改築をなした部分は、いずれも右建物に附合されたものとして、前記相続人等の共有に帰したものというべきである。

次に、別紙目録(三)記載の建物について、現に原告主張のような倉成敬二郎名義の保存登記がなされていることは当事者間に争いがないが、原告は、右建物は倉成敬二郎が別紙目録(一)記載の物件をもつて栄屋旅館を経営し、その収益をもつて建築したものであるから、当然前記相続人等の所有に帰すると主張する。しかし、仮りにそうだとしても、右事実のみをもつて前記相続人等の所有と断ずることはできない。他に原告主張の右事実を認めるに足る証拠はない。

さらに、倉成タツが別紙目録(一)、(二)記載の物件に対して有する自己の共有持分を倉成敬二郎に贈与したか、あるいは原告に遺贈したかが争点となつているので、この点につき判断する。倉成タツが倉成粂吉の遺産に対する自己の共有持分を昭和二八年一〇月一六日倉成敬二郎に贈与する旨意思表示し、その旨の福岡法務局所属公証人松井善太郎作成第八三、二三五号贈与公正証書(その謄本、乙第八号証)が作成されたこと、次いで、同三一年六月一五日右持分を倉成敬二郎の長男である被告(反訴原告)倉成太郎、および被告倉成喬の長女である倉成愛子の両名に遺贈する旨の同法務局所属公証人田中園田作成第六二、八二一号遺言公正証書(その謄本、甲第一二号証)を作成して、公正証書による遺言をしたこと、同三二年九月一四日前記共有持分全部を原告に遺贈し、遺言執行者に小畑瀧七郎を指定する旨の同公証人作成第六八、九三八号遺言公正証書(その謄本、甲第一四号証)を作成して、公正証書による遺言をしたこと、さらに、同三三年三月一九日前記共有持分を原告に遺贈し、遺言執行者に井上周吉を指定する旨の同公証人作成第七一、八七五号遺言公正証書(その謄本、甲第九号証)を作成して、公正証書による遺言をしたことは、いずれも成立に争いのない右各号証によつてそれぞれこれを認めることができる。原告は、倉成タツの倉成敬二郎に対する右贈与は、倉成タツが遺贈と誤信してなした意思表示であるから、これは錯誤により無効であると主張するけれども、これに副う証人井上周吉の証言(第一ないし第三回)ならびに取下前の共同被告倉成タツの本人尋問の結果は容易に措信できない。かえつて、証人永田計介の証言(第二回)と同証言によつて真正に成立したものと認められる乙第九号証、いずれも成立に争いのない乙第一〇、第一一号証に検証の結果を綜合すれば、前記贈与公正証書作成当時の倉成タツの真意は、倉成敬二郎に自己の共有持分を贈与するというものであつたと認められる。前記各遺言証書が作成された事実、および甲第一〇号証、同第一三号証の記載も、証人金丸勝巳の証言(第二回)によつて認められる原告と倉成タツが倉成敬二郎死亡後別紙目録(一)、(二)記載の物件である現栄屋旅館内の一室で同居を始め、被告(反訴原告)倉成郁子から住居侵入として告訴されたこと、そして右事実から推認できる倉成タツと同被告(反訴原告)との仲が円満を欠いていた事実に徴するとき、直ちに倉成タツの錯誤の事実を推認することはできない。他に原告の右主張事実を認めるに足る証拠はない。そうすると、倉成敬二郎が昭和三一年三月二七日死亡し、被告(反訴原告)等主張のとおり被告(反訴原告)等がその相続人であること、倉成タツが同三四年三月一二日死亡したことはいずれも当事者間に争いがなく、同女が前記第七一、八七五号遺言公正証書の後に適式な遺言をした旨何ら主張立証がない以上この以前になされたその余の遺言は右遺言によつて取り消されたものと見るべく、同女の有する前記共有持分について、同女の死亡によつて効力を生じた原告に対する遺贈と倉成敬二郎に対する贈与とはいわゆる二重譲渡の関係に該るものというべきである。従つて、両者はその対抗要件具備の有無によつて優劣を決すべきところ、原告が別紙目録(一)、(二)記載の不動産について被告(反訴原告)等主張のような登記を有することは被告(反訴原告)等の自認するところであるから、右不動産について贈与による所有権取得の登記のない被告(反訴原告)等は原告に対し右贈与をもつて対抗できないものといわなければならない。

そうだとすれば、別紙目録(一)記載の物件について、原告が自己の共有持分である一五分の二の割合と、倉成タツから遺贈を受けた一五分の五の割合の合計一五分の七の割合による共有持分を有することは明らかである。そして、原告と被告(反訴原告)等との間に、亡倉成粂吉の遺産をめぐつて争いがあり、それが福岡家庭裁判所における遺産分割審判手続の進行を妨げていることは、証人山木巌、同佐護壮、同永田計介(第一回)、同栗山太助の各証言によつて容易に認められるところである。ところで、原告の被告(反訴原告)等に対する本訴請求は、結局のところ原告が別紙目録(一)、(三)記載の物件について現に共有持分を有することの確認を求めるのに帰し、右物件が亡倉成粂吉の遺産であること、原被告等がこれを相続したことはいずれも右請求の前提事項に過ぎないので、叙上の理由により、原告の被告(反訴原告)等に対する本訴請求は、原告が別紙目録(一)記載の物件について一五分の七の割合による共有持分を有することの確認を求める部分に限り理由があるものと認められるから、この限度においてこれを認容し、その余の部分は理由がないから失当としてこれを棄却することとし、被告(反訴原告)等の反訴請求は理由がないから失当としてこれを棄却することとする。

よつて、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第九三条、第九二条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

別紙

目録(一)

1、福岡市大字住吉字前畑一、七二〇番地の七

一、宅地 二坪

2、同所同番地の一〇

一、宅地 八八坪

3、同所一、七三二番地

一、宅地 七五坪

4、同所一、七三三番地

一、宅地 四九六坪

5、同所一、七三四番地の一

一、宅地 一五六坪

6、同所同番地の二

一、宅地 五坪

7、同所一、七三五番地の二

一、宅地 五坪

8、福岡市大字住吉一、七三二番地

家屋番号東住吉新屋二二番

一、木造瓦葺二階建居宅一棟

建坪 一六坪八合

外二階 六坪

9、同所一、七三三番地

家屋番号東住吉新屋一六番

一、木造瓦葺二階建居宅一棟

建坪 八五坪

外二階 九坪

附属建物

一、木造瓦葺二階建倉庫一棟

建坪 六坪

外二階六坪

一、木造瓦葺平屋建物置一棟

建坪 三坪

10 同所一、七三四番地の一

家屋番号東住吉新屋一五番

一、木造瓦葺平屋建居宅一棟

建坪 二五坪三合

附属建物

一、木造瓦葺平家建物置一棟

建坪 二坪三合

目録(二)

福岡市大字住吉一、七三三番地

家屋番号東住吉新屋一六番

一、木造瓦葺二階建居宅一棟

建坪 八五坪八合

外二階 九坪

附属建物

一、木造瓦葺二階建倉庫一棟

建坪 六坪

外二階 六坪

一、木造瓦葺平屋建物置一棟

建坪 三坪

一、木造草葺平屋建物置一棟

建坪 三坪八合

一、木造瓦葺平家建物置一棟

建坪 一〇坪

目録(三)

福岡市大字住吉一、七三三番地

家屋番号東住吉新屋七一番

一、木造瓦葺平屋建居宅一棟

建坪 一四坪六合三勺

附属建物

一、木造瓦及草葺平屋建居宅一棟

建坪 八坪五合九勺

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